トランスコスモスの福島が、最新のマーケティング事情についてゲストを招いて語らう対談。第3回は、日本マーケティング学会 会長の古川一郎氏にお話を伺う。今、マーケティング現場で起きている変化に加えて、消費者行動のコンテクスト、テクノロジーの進化など、これからの新しいマーケティング活動について聞いた。
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観察されてこなかった消費のコンテクスト
福島:私は実務家として、約40年間マーケティングに携わっていますが、現在、マーケティングにおける「測定」という行為が大きく変化していると感じます。マーケティングサイエンスを極めてこられた古川先生がお感じになっていることを教えていただけますか。
古川:福島さんが感じている変化は、生活者の「消費行動のコンテクストの観察」が行われてこなかったことに関係していると思います。たとえばワインを購入する時、贈答用として購入する場合と自家消費として購入する場合。あるいは同じ例で、レクサスを購入する時、自分が好きで自家用として購入する場合と会社の節税のために社用車として購入する場合では、そのコンテクストが異なり、消費者の行動の持つ意味が異なります。
今までのマーケティグリサーチでは、コンテクストの違いによって発生したばらつきは、誤差項として扱われ、重視されてきませんでした。ビックデータやAIの時代になって、データドリブンなマーケティングがいくら進歩しても、コンテクストによる分析が抜けていると、そこそこの結果しか出すことができません。コンテクストをとらえることが、これからのマーケティングの課題のひとつになってくると考えています。
福島:フィリップ・コトラーも言っているように、今はマーケティングにおいてロイヤルティが非常に重要になっていて、顧客のロイヤルティを測定することが求められてきています。ロイヤルティは行動として現れますが、異なるコンテクストから生まれた行動のロイヤルティを測定するのは困難です。たとえばフリークエントショッパーズプログラムの歴史の中で行われた事例ですが、「家の目の前にあるAスーパーに週3回買い物に行き、車でしか行けないBスーパーに家族のためにおいしいコロッケを目当てに月1回通う人がいたとします。その人が、AスーパーとBスーパーのどちらに対して高いロイヤルティを持っているか」を可視化するモデルをつくることは容易ではありません。
古川:SNS時代になって、ロイヤルティの測定は複雑になっています。アドボカシー(推奨)を測定したり可視化したりしようとしても、人と人とのつながり方は接触した回数などの数だけで判別することはできないからです。また、ブランドへのロイヤルティがゼロでも「自分が使ってみたら、この商品はお勧めしてもいいと感じた」と周囲に推奨する人がいて、さらにその時に推奨の感染力が強い人もいれば、弱い人もいるといった問題もあります。こうした現実が、行動ベースでロイヤルティを測定しようとすると抜け落ちてしまいます。「観察していれば見えるのだが、モデル化して分析することができない」といったもどかしさがあります。
ただ、分析という点では「分析するばかりで行動できないのは、現在の状況においてはダメでないか」という意見も私の周囲の研究者からはよく聞かれます。
福島:私が先日お会いしたホームセンター業界をリードするDCMホールディングスの代表取締役社長も「行動することの重要性」を指摘していらっしゃいました。同社は、電動工具のプライベートブランドを全体の3分の1にしたり、100円ショップを誘致したりするなど、非常にイノベーティブな企業です。マーケターとしてはリスキーな施策を大胆に実行されていますから、私は「仕入れ先のメーカーとの関係やトータルな客単価への影響をどう判断されているのですか」と質問してみました。すると社長は「やってみないとわからない。やってみて失敗したら反省すればいい」と躊躇なくお答えになりました。
データの民主化がチャネルのキャプテンを変える
古川:今、マーケティングで一番おもしろいのはどこかというと、流通の現場です。私が注目する流通業のひとつに株式会社ワークマンがあります。同社は、作業服をスタイリッシュ化して、それまで低価格帯ブランドが存在しなかったアウトドア・スポーツウエア市場に進出し成功しました。この事例は「新しい価値を創造した」というよりも、「既にワークマンの中にあった価値を、マーケティングによってカッコいい形で切り出した」と表現した方が適切です。言い換えれば「既に起きている未来」が、実際の商品や店舗となって現れる。こうしたワークマンと同様の現象が、今後流通の現場からどんどん起きていくのではないでしょうか。
福島:従来はメーカーが生活者をきちんと見て商品をつくり、流通業はメーカーが作った商品を効率よく売るという役割を果たしていました。メーカーが商品の情報や流通をコントロールする主導者、つまりチャネル・キャプテンだった時代です。 ところがIT化により、流通業でも大きな手間や費用の負担なく、簡単なアンケートやグループインタビューと同じ目的でソーシャルリスニングなどが行えるようになりました。このように情報の民主化が進んだ結果、メーカーは必ずしも生活者を一番把握している存在ではなくなってきています。フィリップ・コトラーがいう『マーケティング1.0』の時代は製品が主体とされていましたから、当然チャネル・キャプテンはメーカーでしたが、今や流通や生活者へと変化してきています。
古川:今のお話で、文房具の銀座 伊東屋の元社長の言葉を思い出しました。「お客さまが教えてくださる」「店員よりもお客さまのほうがよほど商品に詳しい」というお話をしていらっしゃいました。お客さまから貴重な情報を教えてもらえる時代であれば、流通はメーカーに比べて圧倒的に有利ですよね。
福島:流通業がお客さまに近いという有利性を持つのであれば、メーカーとしては「お客さまのために何を作るべきかを正しく聴きとる力」「本当に良いものを効率的に作る力」を突き詰めていく必要があります。
「経路依存性」を脱して、新しい価値創造へ
古川:日本企業は、価値創造への取り組みについて、頭が固かったのではないかと思います。その理由は、過去の成功体験が大きかったからでしょう。1990年代後半から2000年頃を振り返ると、日本企業の企業価値や時価総額は、世界を席巻していましたが、今は見る影もありません。
福島:新たな価値創造に向けたイノベーションを起こそうとする時、固定観念が壁となることは誰もがわかっています。しかし、「固定観念に囚われまい」としても、「どこが固定観念かがわかりにくい」という難しさがあります。私自身も過去に「固定観念に気づかず、大切な商機をつぶす」という苦い体験をしました。
私の経験ですが、その企業は画期的な技術をもってこれまでの商品よりはるかに優る品質を提供できることがわかりました。私が調査の担当だったのですが、この技術を使用した商品は使用方法が既存品と大きく異なるものだったのです。そこで調査をすると、「●●を作るのに××を使うというのはおかしい」「そんな作り方をしたら危険な気がする」などネガティブなコメントばかりでした。結局「お客さまは買わないといっている」という判断で、商品化プロジェクトは消滅し、その後類似技術を用いた他社に市場のリーダーの座を譲り渡してしまったのです。こうした失敗を繰り返さないためにも、固定観念に囚われることなくイノベーティブになるための考え方や手法を確立していかなくてはならないと感じています。
古川:固定観念というお話をされていますが、人には技術や制度、意識によって行動が左右される「経路依存性」があります。AIやIoT化が急速に進む今こそ、社会や企業が「経路依存性」から脱する大きなチャンスです。
マーケティング領域でいうと、いろいろなセンサーが身体に着けられるようになり、データを計測・分析することで、自分の健康状態と行動の関連を可視化できるようになります。そうすると、従来は食品メーカーが作った商品を受け入れて消費するだけだった生活者側は、メーカーが作る商品に対して従来とは異なる価値や意味を求めるようになります。
そこで、メーカー側は生活者に対して新しい提供価値を模索する必要が出てきます。メーカーの皆さまにはデジタルトランスフォーメーションが進展する中で、新しい価値提供による生活者との新しい関係づくりに積極的に踏み込んでいって欲しいと思っています。
福島:生活者にとっての価値は、製品そのものに由来するカスタマーサティスファクション(CS)からカスタマーエクスペリエンス(CX)に確実に変わりつつあります。メーカーは商品の品質と価格のバランスに大変気を遣うのですが、それに付随するCXについては、あまり管理できていない場合が多いです。CXには、コントローラブルではない部分が多々あるからだと思います。しかし今まさにCX全体を考えることが重要となっています。性能的な差別化が技術進歩によって難しくなっている現状では、かつてのように商品の生死を決めるものとして顧客満足を追求するだけでは不十分だからです。
現在、各メーカーの商品開発の最終段階ではユーステスト(使用評価)が課されますが、CXを測るためのテストを設けて、そのスコアをもって経営判断をくだすといった時代が来るかもしれません。
SNS時代にも、拠り所となるSTPと4P
古川:社会のAI-Ready化が進み、私たちの身近にもAI技術が入ってきています。自動運転の車だけでなく、誰もが持っているスマホなど日常的な製品にもAIが組み込まれています。人がAIを意識しなくても、スマホ同士がつながりあうことで学習して賢くなり、持ち主のコンシェルジュとして支援してくれる、そうした世界が実現しつつあり当然マーケティングにも変化が求められます。
とはいえ「伝統的にマーケティングの拠り所となってきたSTP、4Pによるアプローチがなくなるか」というと、そうではありません。マーケティング戦略を考える際には、シンプルで説得力がある論理を組み立てやすいSTP、4Pによるアプローチは非常に有用だからです。ビジネスの現場で、STP、4Pが瞬間的に蒸発してしまうようなことは絶対にないと思います。
福島:おっしゃるとおりだと思います。「お客さまに狙いを定めて、自社の商品・サービスをどう位置づけたいかを考えて、それを達成するために最も効率的な戦略をとる」というSTP、4Pによるアプローチは不変の真理ではないかと感じます。ただしSTP、4Pのフレームワークの中での方法論は、激変していくはずです。STPでいうと今は、セグメンテーションについては、年齢や性別、職業などの外的な基準、デモグラフィック属性を中心に行われるケースが多くなっています。これからは、AIによる分析やネット上での行動傾向などをもとにした、より一人ひとりの求めるベネフィットを反映したセグメンテーションも広がっていくのではないでしょうか。
古川:AIが実装される時代のマーケティングでは、コンテクストをとらえていないがために誤差項目とされていたデータも測定や分析をされながら、プロモーションや価格戦略の最適化が進められていくことでしょう。ダイナミックプライシングに代表される生活者-企業のWin-Winな関係を支える先進的な手法が順調に発展して、より良い商品・サービスが提供される社会になって欲しいですね。
福島:本日は、今起きている変化と向き合い、新しいマーケティング活動を考えていくためのさまざまなヒントをいただきました。貴重なお話をありがとうございました。
対談者プロフィール
日本マーケティング学会 会長 / 武蔵野大学 経営学部 教授 / 一橋大学 名誉教授
古川一郎
1979年東京大学経済学部卒業。1988年同大学院経済学研究科修士課程修了。一橋大学助教授、一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2018年より本学経済学部教授。2019年より現職。2019年4月~2021年3月まで日本マーケティング学会会長を務める(現在は副会長)。一橋大学名誉教授。『マーケティング・リサーチのわな』『地域活性化のマーケティング(編著)』(いずれも有斐閣)、『「B級グルメ」の地域ブランド戦略』(新評論)など著書多数。
トランスコスモス株式会社 上席常務執行役員
福島常浩
1982年に東京工業大学大学院を修了。味の素株式会社にて多変量解析を用いた市場定義モデルの開発、マーケティング部門において家庭用新製品開発及び新事業開発のマーケティング責任者、コンビニエンスチェーンとの大型製販同盟の事業を担当。 その後、GE Capital、三菱商事、ぐるなび、メディカルデータビジョンを経て、ビッグデータ事業、デジタルマーケティング責任者等を歴任。日本マーケティング協会公認マーケティングマイスター、一般社団法人日本市場創造研究会理事・事務局長に携わる傍ら同志社大学で教鞭も取っている。現在はトランスコスモス株式会社 上席常務執行役員としてマーケティング関連の事業開発を担当。
(対談は2020年6月に実施された内容です)